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2024年11月21日
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vol.12 【特集】SPECIAL INTERVIEW(宮本やこさん)
2012年09月02日
SPECIAL INTERVIEW
宮本やこ
宮本やこさん プロフィール
結果は後からついてくる
■小さい頃から和太鼓に興味があったそうですが、タップに興味をもたれたのはいつ頃ですか?
昔から重低音が大好きで、和太鼓は、リズム的にはすんなり自分に浸透してこないところもあったりしたんですが、あの地面にDEEPに響く重低音が大好きでした。 あまりエンタメとは近しくない生活を送っていたので、自分の体を使って踊り始めたのは大学に入ってからです。JADEというチームでstreet, Hip Hopを始めて、ステージに立たせてもらうようになると ちょい疑問が生じて。既製品の曲だと1秒の狂いもなく毎回同じ所で盛り上がって同じ秒数でフィニッシュするじゃないですか。最初は曲にのって踊るとpowerももらえるしめちゃ楽しいって思ってたんですが、少しずつ「今、自分の中から湧き上がってくるもの」とのブレを感じちゃって。うまく言えないけど、自分でその日その時最高に乗れるビートを刻んでその音と競演したいっつーかなんつーか。 そんな時に、ステージの共演者からTAPを勧められたんです。最初はTAPっていうとシルクハットにステッキみたいなイメージがあって、自分にはちょぃ無理だなぁと思ってたんですが、その時見せられたビデオが、セビオンが二十歳ぐらいの時にクレージーに踊りまくってるもので、「ゎぉ、こりゃヤベェ」って(笑)そっから、1年間NYでTAP学んでみようって渡米しました。・・・1年の予定がそのまま帰らず今12年ですけどね。あはは。
■タップを学ぶために渡米されましたが、当時はどんな生活でしたか?
スタジオがオープンする時間にスタジオ入って、クローズするまでいる、みたいな生活でした。当初は1年間だけの留学のつもりだったんで、やれるだけやりきって戻ろうと思って。初心者だから、練習しても練習しても音がならない。でも、出したいビートがあったから、「こぉなりゃ、鳴るまでとことん踏んでやろぉじゃねぇーの」って。やることなんて山ほどあったんで、時間がいくらあっても足りないくらいでした。 クラスはJasonとSavionを半年間くらい取ってましたが、貧乏学生なので他のクラスの合間にスタジオが空いた時間を有効利用・・・って、公の場でそんなこと言ったらいけないのかな。ま、いっか。クラスとクラスの間の30分間が、ひたすら練習時間でした。スケジュール作った方に感謝(笑)スタジオの練習時間と重ならないように毎朝6時からDog Walkingのバイトしてました。
■渡米の翌年には和太鼓とタップを合わせたリズムパフォーマンスグループ「鼓舞」を設立されていますが、グループ設立のイメージは渡米前からあったのですか?
全くなかったです。1年の留学予定だったし、TAPを集中して学んで自分が思う音を出せるようになりたいっていう1本しか思っていなかった。 COBUは、色んな縁で設立することになったカンパニーです。たまたまBryantParkを通りかかった時に和太鼓を叩いているアメリカ人グループに出会って、「あ、なつかしー」という感じで即興で乱入させてもらったんです。で、やっぱ和太鼓の重低音好きだなぁー から この音とTAPできたらなぁと。その当時、TAPではスネアの音は出てもDeepBaseの音がでないことを残念に感じていたので、ちょうどいいタイミングだったんだと思います。で、縁あってPCTというところでショーをするんだけど一曲作ってくれないかと言われ、Tapと和太鼓融合の曲「響」を作ったら意外なほど評価をいただいて、その時のTap Dancer4人が自分と一緒にやりたいと言ってくれたので、じゃ、カンパニーにしましょうか。という流れで・・・。 カンパニーを設立するために何かをしてきたというより、目の前にあることを一個一個やってたらそこに至っていた、という感じですか。やるべきことをとことんやってると、自分が打破したい壁がいくつも目の前に見えてきて、一個一個立ち向かってるうちに自ずと進むべき道を進んできているという感じで、渡米前は考えていなかったことでも、今の自分の在り方に驚きはないです。あー、なるようになるんだなぁって。 ふぅん、こぉなる道だったのかぁ、みたいな(笑)
■更に二年後には日本人として初めて、オフブロードウェイミュージカル「STOMP」に合格されましたが、オーディションではどのようなことをしましたか?
実はいきなりファイナルから参加したんです(笑)色んな勘違いが重なって。まぁ、Luke(Stomp Director)が「とりあえずなんかやってみて」ってステージに上げてくれたから参加できましたが、合格後に「ありえんぞあれは」って笑われました。オーディション内容は、通常1次から4次までは軽く振り写しされたものをやって、ファイナルは振り写しされた曲の発展系とインプロが多いですね。 ちなみに私は前回までの振り写しを受けてないので、全部即興(笑)その場でピックアップするあのキワドイ集中力とわくわく感はやばかったですね。即興では、唐突に隣の人と組んでダンス&リズムバトルしたり、かけあいしたり、ゴミ箱のふた渡されて1人でセンターステージに押し出されたり、ある意味やりたい放題でめっちゃ楽しかったです。 STOMPステージって、ごちゃごちゃしてて色んなものがあるんです。オーディションが本番のステージ上だったんで、壁の鍋とか標識とかゴミ箱とか、玩具与えられた子供状態で、ほんと、遊びたい放題だったなぁ。楽しかった~と思ってたら2週間後に「Welcome to STOMP Family」って電話かかってきて、あ、またあそこで遊べるんだって嬉しくなりました。
■STOMPの公演は毎回即興だとお聞きしましたが、印象に残る出来事や、ハプニングなどはありますか?
ハプニングは毎晩のようにあります。365日やってますからね、ライブのロングランってすんごい貴重な体験なんだなって何度も思いました。 STOMPは、それぞれの曲にQ出しする人がいて、Qが出ると次のパートに移るっていう流れなんです。私も結構Q出し任されてますけど、途中のインプロやリズムバトルがのりまくってきちゃうと、楽しくなっちゃってQ出さなくなる(笑)通常1時間半の公演なんですが、楽しくなりすぎて2時間やってたこともあるし、逆にスーパーボールの日とか、Q早っって感じで1時間ちょいで終わったこともあります。お客さんもそわそわしてたから、いいのかなぁ。 ライブだから生まれるものって結構あって、即興バトルってる時に自分がすごいイイリズムぶち込めた瞬間、「自分天才」って一人悦に入ってるんですが、3秒後にはその上からもっとすげぇリズムを被せてくる仲間がいて、「やべぇ、あいつ天才。自分まだまだ。」って鳥肌立って楽しくなっちゃいます。だいたい自分天才気分は毎回3秒くらいの命です。 そういうのが重なって、リズムがハリケーンみたいに渦巻いて上がっていくことがあって、あの「くぅぅーーーっ」っとくる「ゾワッと感」はたまらない。不思議なもので、その時と同じリズムを次のショーでやってみても、同じ現象は起きない。その時その場で生まれたからこその現象なのかなぁと思うと、ライブって一個一個貴重だなぁって思います。同じステージを3000回以上やってるが故に、惰性でも流せちゃうけど、せっかく一つ一つ違う音が生まれるのだからきちんと思い出に残るショーをやりたいって思うようになりました。あの、1000回に1回くらい生まれる「くぅーーー」な瞬間を思えば、惰性で流すのもったいないですもんね。 アクシデント・ハプニングは書き記せないほどたくさんあります。サスペンションで壁にぶら下がって暴れる曲があるんですが、フックが反対になっててひっかからずに、そのまま後方に飛んでってフロアに落下したこともあったし(あの瞬間、カエルみたいな声がでて息が吸えなかったけど、奇跡的に擦り傷とアザのみの軽傷。らっきぃ。)、コンバットで殴られて滝のように顔面流血したり、屈強な共演者と戦ってるんで殴られてふっ飛んで、いつの間にか手首折れてたり、2mくらいあるドラム缶履いたまま転んだり、共演者がトイレから出てこなくて7人で8人分のリズム回したり(笑)、小道具が用意されてなくて、壁から鍋むしり取って違う即興ナンバー作っちゃったり、新人が舞台上で迷子になったから途中から2役分やったり、ZIPPOの火がつかなかったり、ストロー折れちゃったからボイパしてみたり、途中で怪我人が続出して曲が進むにしたがってどんどん人数が減ってったり、仲間の緊急事態でフォローアップするときは逆にみんな燃えていつも以上の一体感でGreatショーになったりして、ほんと、ハプニングも色々なパターンがあって、一つとして同じショーがなかったです。 ハプニングは、起きないに越したことはないんですが、個人的には、ハプニング起きると燃えるんですよね、なぜだろぉ。
■2010年にSTOMPを卒業をされるまでの8年間はどのような生活でしたか?
ある意味、アスリートのような生活でした。フィジカルトレーナーからの指示で体のメンテをして、365日毎晩ステージで全力疾走し続ける、みたいな。 8年もあれば、自分の体調的にも感情的にも様々なことがあったし、STOMPを理由にほかのことをおざなりにするのが嫌だったんで個人としての創作活動も活発にさせてもらって、COBUとしての活動もフルにこなし、でも、そんな個人的な日々とは関係なく毎晩ステージの幕は変わらず開き、世界中から集まってきてくれたお客さんたちの前で最高のパフォーマンスを要求され続けます。 自分のモチベーションをきちんと毎晩のステージに持っていくことが大変な時期もありましたが、今思うと、あの壁を越えたからこそ気づけた自分自身の弱さと強さっていうのもあって、人生で2度は経験できないであろう8年間でした。 ライブロングランだから有無を言わさず体験させられてしまうこともたくさんあったし、実感できること、学べることって本当にいっぱいあって、素晴らしい経験を積めたと思ってます。
■鼓舞としては、日本人女性グループとして初めてNBAのハーフタイムショーに出演されましたが、1万人以上の人に囲まれてのパフォーマンスはいかがでしたか?
マディソンスクエアのバスケコートの周りにぐるっと18000人。コートの真ん中に立ってぐゎーっと一周見回したときは、溢れ出るわくわく感がやばかったです。お客さんもめっちゃ盛りあがってくれて、歓声が何回かの波になって届いてきて、心から楽しめました。日本人としては初の、NBA選手入場でも演奏させてもらって、生音がマディソンスクエアに響き渡ったのは快感でした。日本人には無理とか言われちゃってることでも、やりたいと思ったら挑戦していきたい。誰かがつくてくれた道に追従するんじゃなくて、自分たちが進みたいって思う道をしっかりと一歩一歩進んでいきたいです。 鼓舞は、日本人グループとしては初のAudience Favorite Award 2011(Fringe NY)も受賞しました。日本人初っていう冠には全然拘ってないけど、自分たちらしく、壁はぶち破っていきます。
■和太鼓やタップの音が原因で、鼓舞の練習スタジオが何度か変わっているそうですが、これまでにはどんな引越しがありましたか?
周りのスタジオからの騒音クレームで猶予なくその日に撤退を申し入れられたり、突然、来週からのリハを全キャンセルされたこともあったし、ビルが揺れるって怒られたり・・・(笑)前例がないからしょうがない。オリジナルスタイルの宿命だと思ってます。 ドラムだけなら音楽スタジオでやれば騒音苦情はないけど、踊りながら叩くCOBU Styleでは狭いし鏡がないしTapができるフロアもない。逆に、Dance Studioでは鏡もあるし広いしTapもできますが、Drumの音でビルが揺れちゃうし隣のスタジオからクレームもきちゃう。和太鼓も10台くらいストックしなきゃいけないので、ストレージの大きさも問題だし・・・・とまぁ、デメリットは山ほどありますが、デメリットを乗り越えてのオリジナルパフォーマンスなんで、メンツもだいぶ強くなりました(笑) スタジオが見つからないときは、公園で「だだだっ」と口で言いながらリハしてます(笑)快適にDRUM叩きながら踊ってTapできるスタジオなんて自分たちで作るしかないんで、いつかCOBUビル建てるんじゃーってみんなで気炎を吐いて、今は地道に引っ越ししながらスタジオ探してリハしてます。協力してくれる方々もたくさんいるので、挫けず、邁進中です。
■現在、ハリウッド映画「COBU 3D」の公開が楽しみにされていますが、宮本さんご本人もスクリーンに登場されますね。映画全体としてはどういった作品ですか?
NYで活動する和太鼓&TAPチーム「COBU」の日本人女性リーダーが主人公の映画で、最終脚本はラブストーリーになってました(笑)広報曰く、現在版ロミジュリ的なラブロマンスダンスムービー。だそうです。マイノリティとしての苦難や、日本人としての誇り、NYでのし上がっていくための試練、家族、そして恋。 新聞などに「宮本やこをモデルにした脚本」と書かれているので、ここでひとつ断っておきますが、私は映画の中のように白人のダンサーと恋に落ちてはいないです。はい。 出演に関して、私は、脚本のモデル、consultant+振付+映画音楽の作曲、ということに関しては了承していたんですが、出演はきっぱり断っていたんです。やることが多かったし、制作人としてじっくり関わってみたかったので。でも、Duane Adler監督から説得されて、COBU girlsの一人として結局出ることになりました。覚悟の上とはいえ、振付しながら監督とコンサルトして、小道具つくりにもスタッフと関わり、キャストへの振付作業、現場での振付変更作業、音楽も作曲編曲しながら役者としての撮影参加はどれも片手間ではできず、当初の危惧通りどれも中途半端感をぬぐえず、自分の中で100%の納得を得られなかったのが残念ですが、とてもいい勉強になりました。自分の実力が思ってた程度だったってことで(笑)なんだ、危惧してたのがバカらしいくらい、全部できちゃったじゃんって言ってみたかったんですけどねー。
■監督からは5年前からアプローチがあったそうですが、これまでどんな作業をされましたか?
ハリウッド映画が出来上がる過程に1から全て係われる。そんなめったにできない経験をさせていただきました。最初にDuaneから「君をモデルにした映画を作りたいと思うんだが」と連絡をもらった時、この人すげぇなぁと思いました。STOMPでステージには立ってましたが世界的に自分の名前が通ってるわけじゃないし、COBUもベガスなどで公演してましたが、「知る人ぞ知る」存在だったし。よく「宮本やこ」モデルでハリウッド映画作ろうなんて考えちゃったなぁって他人事みたいに感心しちゃいました。 彼は、「Step Up」やら「Save the last dance」やらをヒットさせてる実績があったし、とりあえずNYまで会いに来てくれた彼の話を聞いたら何やらめっちゃいい人だし、熱いし、ん~一緒に冒険して創作活動してみちゃおっかって気分にさせられました。ひとつの映画が出来上がるまでって、途方もない過程があって、その一つ一つに関われたことがまたとない貴重な体験になりました。 脚本も書き始める前だったので、どんな人間関係でどんなストーリーを展開していくか、キャラ設定やパフォーマンスの撮影方法、プロップの制作や、楽曲つくり、キャスト選び、はたまたスポンサー候補の方々にもお会いしたり、とにかく、目まぐるしくいろいろなことが起こりました。 一番最初に上がってきた脚本は、何度も何度も書き直しが入って今では原型も留めていませんが、今でも宝物ですね。最終脚本は、キャストが全部決まってから書き直され、一人の女性が日本からNYへ渡り困難をぶちやぶって己の道を強く突き進んでいく、という要素を少し残したまま、メインはラブロマンスになりました。 撮影前にロスで合宿が行われて、キャストの特訓が行われました。みんなTAPも和太鼓も初めてで、どうなることやらと思いましたが、キャスト全員努力を重ねてくれてどうにか形あるものが出来そう・・・となったところでカナダでクランクイン。3か月間ホテルに缶詰めだったんですが、最初の1か月は日々の睡眠時間が1時間か2時間。朝8時からスタジオでシーンごとにキャストへ振付作業、リハーサル、午後は衣装合わせ、制作ミーティング、楽曲簡易レコーディング、ホテルに戻ったら監督やほかの制作チームと場面の方向性と振付の変更、曲の変更、キャストの力量に合わせたシーンの変更などの打ち合わせが続いて、朝5時に自分の部屋に戻ってそこから明日の振付を考え直す・・・という日々でした。 もう2度とない(と信じたい)タフ日々でしたが、いい経験だったなぁ。
■STOMPを卒業し、映画制作も終了、今後はどのような活動を予定されていますか?
とりあえず、今までと同じように、今目の前にある壁に立ち向かっていくことをしています。結果は後からついてくる。 最近感じるのは、やってきたことよりも評価が先行しちゃうと引き出しが空っぽになっちゃうから、それはいやだな と。だから、今は全く評価されないような努力をしっかりと積み重ねて、自分で自分を認められるくらい引き出しを満たしておけば、どんな評価がきても揺るがずにいれる。自分の物差しをきちんと持っていたいと思います。 自分らしさを見失わずに、マイペースにちゃんと自分の記憶に残る日々を送りたい。 自分で自分を褒めてあげられるような、そんな地道な道を歩みたいですね。
実はいきなりファイナルから参加したんです(笑)色んな勘違いが重なって。まぁ、Luke(Stomp Director)が「とりあえずなんかやってみて」ってステージに上げてくれたから参加できましたが、合格後に「ありえんぞあれは」って笑われました。オーディション内容は、通常1次から4次までは軽く振り写しされたものをやって、ファイナルは振り写しされた曲の発展系とインプロが多いですね。 ちなみに私は前回までの振り写しを受けてないので、全部即興(笑)その場でピックアップするあのキワドイ集中力とわくわく感はやばかったですね。即興では、唐突に隣の人と組んでダンス&リズムバトルしたり、かけあいしたり、ゴミ箱のふた渡されて1人でセンターステージに押し出されたり、ある意味やりたい放題でめっちゃ楽しかったです。 STOMPステージって、ごちゃごちゃしてて色んなものがあるんです。オーディションが本番のステージ上だったんで、壁の鍋とか標識とかゴミ箱とか、玩具与えられた子供状態で、ほんと、遊びたい放題だったなぁ。楽しかった~と思ってたら2週間後に「Welcome to STOMP Family」って電話かかってきて、あ、またあそこで遊べるんだって嬉しくなりました。
■STOMPの公演は毎回即興だとお聞きしましたが、印象に残る出来事や、ハプニングなどはありますか?
ハプニングは毎晩のようにあります。365日やってますからね、ライブのロングランってすんごい貴重な体験なんだなって何度も思いました。 STOMPは、それぞれの曲にQ出しする人がいて、Qが出ると次のパートに移るっていう流れなんです。私も結構Q出し任されてますけど、途中のインプロやリズムバトルがのりまくってきちゃうと、楽しくなっちゃってQ出さなくなる(笑)通常1時間半の公演なんですが、楽しくなりすぎて2時間やってたこともあるし、逆にスーパーボールの日とか、Q早っって感じで1時間ちょいで終わったこともあります。お客さんもそわそわしてたから、いいのかなぁ。 ライブだから生まれるものって結構あって、即興バトルってる時に自分がすごいイイリズムぶち込めた瞬間、「自分天才」って一人悦に入ってるんですが、3秒後にはその上からもっとすげぇリズムを被せてくる仲間がいて、「やべぇ、あいつ天才。自分まだまだ。」って鳥肌立って楽しくなっちゃいます。だいたい自分天才気分は毎回3秒くらいの命です。 そういうのが重なって、リズムがハリケーンみたいに渦巻いて上がっていくことがあって、あの「くぅぅーーーっ」っとくる「ゾワッと感」はたまらない。不思議なもので、その時と同じリズムを次のショーでやってみても、同じ現象は起きない。その時その場で生まれたからこその現象なのかなぁと思うと、ライブって一個一個貴重だなぁって思います。同じステージを3000回以上やってるが故に、惰性でも流せちゃうけど、せっかく一つ一つ違う音が生まれるのだからきちんと思い出に残るショーをやりたいって思うようになりました。あの、1000回に1回くらい生まれる「くぅーーー」な瞬間を思えば、惰性で流すのもったいないですもんね。 アクシデント・ハプニングは書き記せないほどたくさんあります。サスペンションで壁にぶら下がって暴れる曲があるんですが、フックが反対になっててひっかからずに、そのまま後方に飛んでってフロアに落下したこともあったし(あの瞬間、カエルみたいな声がでて息が吸えなかったけど、奇跡的に擦り傷とアザのみの軽傷。らっきぃ。)、コンバットで殴られて滝のように顔面流血したり、屈強な共演者と戦ってるんで殴られてふっ飛んで、いつの間にか手首折れてたり、2mくらいあるドラム缶履いたまま転んだり、共演者がトイレから出てこなくて7人で8人分のリズム回したり(笑)、小道具が用意されてなくて、壁から鍋むしり取って違う即興ナンバー作っちゃったり、新人が舞台上で迷子になったから途中から2役分やったり、ZIPPOの火がつかなかったり、ストロー折れちゃったからボイパしてみたり、途中で怪我人が続出して曲が進むにしたがってどんどん人数が減ってったり、仲間の緊急事態でフォローアップするときは逆にみんな燃えていつも以上の一体感でGreatショーになったりして、ほんと、ハプニングも色々なパターンがあって、一つとして同じショーがなかったです。 ハプニングは、起きないに越したことはないんですが、個人的には、ハプニング起きると燃えるんですよね、なぜだろぉ。
■2010年にSTOMPを卒業をされるまでの8年間はどのような生活でしたか?
ある意味、アスリートのような生活でした。フィジカルトレーナーからの指示で体のメンテをして、365日毎晩ステージで全力疾走し続ける、みたいな。 8年もあれば、自分の体調的にも感情的にも様々なことがあったし、STOMPを理由にほかのことをおざなりにするのが嫌だったんで個人としての創作活動も活発にさせてもらって、COBUとしての活動もフルにこなし、でも、そんな個人的な日々とは関係なく毎晩ステージの幕は変わらず開き、世界中から集まってきてくれたお客さんたちの前で最高のパフォーマンスを要求され続けます。 自分のモチベーションをきちんと毎晩のステージに持っていくことが大変な時期もありましたが、今思うと、あの壁を越えたからこそ気づけた自分自身の弱さと強さっていうのもあって、人生で2度は経験できないであろう8年間でした。 ライブロングランだから有無を言わさず体験させられてしまうこともたくさんあったし、実感できること、学べることって本当にいっぱいあって、素晴らしい経験を積めたと思ってます。
■鼓舞としては、日本人女性グループとして初めてNBAのハーフタイムショーに出演されましたが、1万人以上の人に囲まれてのパフォーマンスはいかがでしたか?
マディソンスクエアのバスケコートの周りにぐるっと18000人。コートの真ん中に立ってぐゎーっと一周見回したときは、溢れ出るわくわく感がやばかったです。お客さんもめっちゃ盛りあがってくれて、歓声が何回かの波になって届いてきて、心から楽しめました。日本人としては初の、NBA選手入場でも演奏させてもらって、生音がマディソンスクエアに響き渡ったのは快感でした。日本人には無理とか言われちゃってることでも、やりたいと思ったら挑戦していきたい。誰かがつくてくれた道に追従するんじゃなくて、自分たちが進みたいって思う道をしっかりと一歩一歩進んでいきたいです。 鼓舞は、日本人グループとしては初のAudience Favorite Award 2011(Fringe NY)も受賞しました。日本人初っていう冠には全然拘ってないけど、自分たちらしく、壁はぶち破っていきます。
■和太鼓やタップの音が原因で、鼓舞の練習スタジオが何度か変わっているそうですが、これまでにはどんな引越しがありましたか?
周りのスタジオからの騒音クレームで猶予なくその日に撤退を申し入れられたり、突然、来週からのリハを全キャンセルされたこともあったし、ビルが揺れるって怒られたり・・・(笑)前例がないからしょうがない。オリジナルスタイルの宿命だと思ってます。 ドラムだけなら音楽スタジオでやれば騒音苦情はないけど、踊りながら叩くCOBU Styleでは狭いし鏡がないしTapができるフロアもない。逆に、Dance Studioでは鏡もあるし広いしTapもできますが、Drumの音でビルが揺れちゃうし隣のスタジオからクレームもきちゃう。和太鼓も10台くらいストックしなきゃいけないので、ストレージの大きさも問題だし・・・・とまぁ、デメリットは山ほどありますが、デメリットを乗り越えてのオリジナルパフォーマンスなんで、メンツもだいぶ強くなりました(笑) スタジオが見つからないときは、公園で「だだだっ」と口で言いながらリハしてます(笑)快適にDRUM叩きながら踊ってTapできるスタジオなんて自分たちで作るしかないんで、いつかCOBUビル建てるんじゃーってみんなで気炎を吐いて、今は地道に引っ越ししながらスタジオ探してリハしてます。協力してくれる方々もたくさんいるので、挫けず、邁進中です。
■現在、ハリウッド映画「COBU 3D」の公開が楽しみにされていますが、宮本さんご本人もスクリーンに登場されますね。映画全体としてはどういった作品ですか?
NYで活動する和太鼓&TAPチーム「COBU」の日本人女性リーダーが主人公の映画で、最終脚本はラブストーリーになってました(笑)広報曰く、現在版ロミジュリ的なラブロマンスダンスムービー。だそうです。マイノリティとしての苦難や、日本人としての誇り、NYでのし上がっていくための試練、家族、そして恋。 新聞などに「宮本やこをモデルにした脚本」と書かれているので、ここでひとつ断っておきますが、私は映画の中のように白人のダンサーと恋に落ちてはいないです。はい。 出演に関して、私は、脚本のモデル、consultant+振付+映画音楽の作曲、ということに関しては了承していたんですが、出演はきっぱり断っていたんです。やることが多かったし、制作人としてじっくり関わってみたかったので。でも、Duane Adler監督から説得されて、COBU girlsの一人として結局出ることになりました。覚悟の上とはいえ、振付しながら監督とコンサルトして、小道具つくりにもスタッフと関わり、キャストへの振付作業、現場での振付変更作業、音楽も作曲編曲しながら役者としての撮影参加はどれも片手間ではできず、当初の危惧通りどれも中途半端感をぬぐえず、自分の中で100%の納得を得られなかったのが残念ですが、とてもいい勉強になりました。自分の実力が思ってた程度だったってことで(笑)なんだ、危惧してたのがバカらしいくらい、全部できちゃったじゃんって言ってみたかったんですけどねー。
■監督からは5年前からアプローチがあったそうですが、これまでどんな作業をされましたか?
ハリウッド映画が出来上がる過程に1から全て係われる。そんなめったにできない経験をさせていただきました。最初にDuaneから「君をモデルにした映画を作りたいと思うんだが」と連絡をもらった時、この人すげぇなぁと思いました。STOMPでステージには立ってましたが世界的に自分の名前が通ってるわけじゃないし、COBUもベガスなどで公演してましたが、「知る人ぞ知る」存在だったし。よく「宮本やこ」モデルでハリウッド映画作ろうなんて考えちゃったなぁって他人事みたいに感心しちゃいました。 彼は、「Step Up」やら「Save the last dance」やらをヒットさせてる実績があったし、とりあえずNYまで会いに来てくれた彼の話を聞いたら何やらめっちゃいい人だし、熱いし、ん~一緒に冒険して創作活動してみちゃおっかって気分にさせられました。ひとつの映画が出来上がるまでって、途方もない過程があって、その一つ一つに関われたことがまたとない貴重な体験になりました。 脚本も書き始める前だったので、どんな人間関係でどんなストーリーを展開していくか、キャラ設定やパフォーマンスの撮影方法、プロップの制作や、楽曲つくり、キャスト選び、はたまたスポンサー候補の方々にもお会いしたり、とにかく、目まぐるしくいろいろなことが起こりました。 一番最初に上がってきた脚本は、何度も何度も書き直しが入って今では原型も留めていませんが、今でも宝物ですね。最終脚本は、キャストが全部決まってから書き直され、一人の女性が日本からNYへ渡り困難をぶちやぶって己の道を強く突き進んでいく、という要素を少し残したまま、メインはラブロマンスになりました。 撮影前にロスで合宿が行われて、キャストの特訓が行われました。みんなTAPも和太鼓も初めてで、どうなることやらと思いましたが、キャスト全員努力を重ねてくれてどうにか形あるものが出来そう・・・となったところでカナダでクランクイン。3か月間ホテルに缶詰めだったんですが、最初の1か月は日々の睡眠時間が1時間か2時間。朝8時からスタジオでシーンごとにキャストへ振付作業、リハーサル、午後は衣装合わせ、制作ミーティング、楽曲簡易レコーディング、ホテルに戻ったら監督やほかの制作チームと場面の方向性と振付の変更、曲の変更、キャストの力量に合わせたシーンの変更などの打ち合わせが続いて、朝5時に自分の部屋に戻ってそこから明日の振付を考え直す・・・という日々でした。 もう2度とない(と信じたい)タフ日々でしたが、いい経験だったなぁ。
■STOMPを卒業し、映画制作も終了、今後はどのような活動を予定されていますか?
とりあえず、今までと同じように、今目の前にある壁に立ち向かっていくことをしています。結果は後からついてくる。 最近感じるのは、やってきたことよりも評価が先行しちゃうと引き出しが空っぽになっちゃうから、それはいやだな と。だから、今は全く評価されないような努力をしっかりと積み重ねて、自分で自分を認められるくらい引き出しを満たしておけば、どんな評価がきても揺るがずにいれる。自分の物差しをきちんと持っていたいと思います。 自分らしさを見失わずに、マイペースにちゃんと自分の記憶に残る日々を送りたい。 自分で自分を褒めてあげられるような、そんな地道な道を歩みたいですね。
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