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2024年11月21日
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vol.4 【特集】SPECIAL INTERVIEW(マックスポーラックさん) 1
2010年03月18日
昨年11月に来日したタップダンサー、マックスポーラックさんに緊急インタビュー!!
母国オーストリア、NY、キューバとワールドワイドに活躍中のマックスさんから貴重なお話をお聞きしました!
SPECIAL INTERVIEW
MAX POLLAK
マックスポーラックさん プロフィール
■タップを始めたきっかけは何ですか?
5歳の時にフレッドアステアを見たのがタップを始めようと思ったきっかけだね。でも当時、タップダンスが出来るクラスが無くて7歳~9歳まではバレエを習っていたんだ。当時、男の子は僕1人だけだったね。
■バレエを通してタップに通じるものはありましたか?
バレエを習い始めた当初は何も分からなかったけど、バレエを辞めてタップとドラムを習い始めてから「姿勢」や「見せ方」を勉強していくうちにバレエも重要だと気付いて、基本姿勢を学ぶ為に再びバレエを習いに戻ったんだ。クラシカルなバレエをやる事によって「今、自分の体がどの方向に向いているのか」を感じる事が出来るようになったね。
■ニューヨークを始め、世界中を飛び回る生活の中で今と昔とで感じた変化や、タップをより発展させるのに必要だと思う事はありますか?
確実にタップを通じてのコミュニケーションは広がっているし、何よりいろんな人が様々な場所へ出向くようになったよね。世界を通して情報が盛んになっているし、教える立場にある人が今まで行かなかった場所へ行くようになったと思う。ニューヨークでタップを学んだ人が母国に戻ってタップダンスを広めていく中でその国の文化と融合し、変化したものが再びニューヨークへ戻ってくる。これがタップ業界の中でいい刺激になっていると思うよ。トラディショナルなものだけを行うのもいいけど、そこで立ち止まってしまうとゆくゆくはきっと廃れてしまうよね。各国へ渡って新たに生み出されたタップをアメリカが受け入れてくれる状況にある事がとても大切な事だと思う。ピアノで例えると、決められたキーはあるけれど、それでいろんな人が様々な楽曲を作るっていう感覚と同じかな。多くの人が学び、様々な影響を受けて再び戻ってくる事が重要だし、その為にはアメリカでタップをやっている人も、それを受け入れる事が必要だと思う。それこそが、タップダンスの増々の発展に繋がるとても重要なポイントだと僕は思うね。
■タップダンスとボディーパーカッションを融合したスタイルはどのようにして確立していったのですか?
そもそも、僕が一番したかったのは音楽なんだ。タップダンス以上に音楽に興味があった。だからタップの他に音楽も勉強したし、音楽を勉強すればするほどタップを音楽として表現したいという情熱が出てきたんだ。ピアノやドラムで表現出来るものが何故タップでは出来ないのか、すごく疑問を感じていたし、だからこそ音楽とタップの間にある壁を壊したかった。「音楽の全てをタップで表現していきたい」音楽を学んでいく事で自分のスタイルも変化していった、これが融合の始まりだね。
■マックスにとって大切なものは何ですか?
現在のスタイルを確立するにあたり、キューバ音楽・ブラジリアン音楽、そしてラテン音楽との出合いが僕にとって非常に重要で大切なものだったんだ。音楽をタップで表現したいと考えていた僕はこれらの音楽に出合う事によって、その意味や方法、客に自分のやりたかった事を伝えるのに非常に役に立ったんだ。それぞれの国にある音楽、つまりは「民族音楽」。民族音楽っていうのは誰もが知ってる音楽であり踊りなんだ。「民族音楽はみんなの為の音楽」この感覚を学ぶ事がとても大切で、そのコミュニティに自分が交じる事によってどういった形で人とコミュニケーションを取っていく事が出来るかというのを学んだんだ。キューバではルンバが生活の一部になっている。だから僕はこれで人々と繋がっていきたいと思っているんだ。
■最後に読者へ一言
そうだね~。いろんなダンスを見て、いろんな音楽を聴く事かな。ただタップだけをするのではなく、視野を広げてもっといろんな事にチャレンジしていってほしいなって思うよ。
母国オーストリア、NY、キューバとワールドワイドに活躍中のマックスさんから貴重なお話をお聞きしました!
SPECIAL INTERVIEW
MAX POLLAK
マックスポーラックさん プロフィール
■タップを始めたきっかけは何ですか?
5歳の時にフレッドアステアを見たのがタップを始めようと思ったきっかけだね。でも当時、タップダンスが出来るクラスが無くて7歳~9歳まではバレエを習っていたんだ。当時、男の子は僕1人だけだったね。
■バレエを通してタップに通じるものはありましたか?
バレエを習い始めた当初は何も分からなかったけど、バレエを辞めてタップとドラムを習い始めてから「姿勢」や「見せ方」を勉強していくうちにバレエも重要だと気付いて、基本姿勢を学ぶ為に再びバレエを習いに戻ったんだ。クラシカルなバレエをやる事によって「今、自分の体がどの方向に向いているのか」を感じる事が出来るようになったね。
■ニューヨークを始め、世界中を飛び回る生活の中で今と昔とで感じた変化や、タップをより発展させるのに必要だと思う事はありますか?
確実にタップを通じてのコミュニケーションは広がっているし、何よりいろんな人が様々な場所へ出向くようになったよね。世界を通して情報が盛んになっているし、教える立場にある人が今まで行かなかった場所へ行くようになったと思う。ニューヨークでタップを学んだ人が母国に戻ってタップダンスを広めていく中でその国の文化と融合し、変化したものが再びニューヨークへ戻ってくる。これがタップ業界の中でいい刺激になっていると思うよ。トラディショナルなものだけを行うのもいいけど、そこで立ち止まってしまうとゆくゆくはきっと廃れてしまうよね。各国へ渡って新たに生み出されたタップをアメリカが受け入れてくれる状況にある事がとても大切な事だと思う。ピアノで例えると、決められたキーはあるけれど、それでいろんな人が様々な楽曲を作るっていう感覚と同じかな。多くの人が学び、様々な影響を受けて再び戻ってくる事が重要だし、その為にはアメリカでタップをやっている人も、それを受け入れる事が必要だと思う。それこそが、タップダンスの増々の発展に繋がるとても重要なポイントだと僕は思うね。
■タップダンスとボディーパーカッションを融合したスタイルはどのようにして確立していったのですか?
そもそも、僕が一番したかったのは音楽なんだ。タップダンス以上に音楽に興味があった。だからタップの他に音楽も勉強したし、音楽を勉強すればするほどタップを音楽として表現したいという情熱が出てきたんだ。ピアノやドラムで表現出来るものが何故タップでは出来ないのか、すごく疑問を感じていたし、だからこそ音楽とタップの間にある壁を壊したかった。「音楽の全てをタップで表現していきたい」音楽を学んでいく事で自分のスタイルも変化していった、これが融合の始まりだね。
■マックスにとって大切なものは何ですか?
現在のスタイルを確立するにあたり、キューバ音楽・ブラジリアン音楽、そしてラテン音楽との出合いが僕にとって非常に重要で大切なものだったんだ。音楽をタップで表現したいと考えていた僕はこれらの音楽に出合う事によって、その意味や方法、客に自分のやりたかった事を伝えるのに非常に役に立ったんだ。それぞれの国にある音楽、つまりは「民族音楽」。民族音楽っていうのは誰もが知ってる音楽であり踊りなんだ。「民族音楽はみんなの為の音楽」この感覚を学ぶ事がとても大切で、そのコミュニティに自分が交じる事によってどういった形で人とコミュニケーションを取っていく事が出来るかというのを学んだんだ。キューバではルンバが生活の一部になっている。だから僕はこれで人々と繋がっていきたいと思っているんだ。
■最後に読者へ一言
そうだね~。いろんなダンスを見て、いろんな音楽を聴く事かな。ただタップだけをするのではなく、視野を広げてもっといろんな事にチャレンジしていってほしいなって思うよ。
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vol.3 【特集】秋のイベント特集!
2009年12月28日
■同志社大学学園祭ADAM祭(京都)
10月31日(土)
同志社大学タップダンスサークル Shim Sham
紅葉の色着き始めた秋冷のころ、同志社大学京田辺キャンパスでは
雲一つ無い晴天の下、恒例の学園祭「ADAM祭」が行われた。
メンバー全員で踊る実にファンキーでお洒落なナンバーをはじめイスや風船、傘を上手く使いながらストーリーある舞台を次々と展開していく。独創的で、ユニークなナンバーの数々は最後まで見るものの心を掴んで離さず、tapならではの足の裏と体で作り出す音と動きの世界を確実に創り上げていた。
■りら創造芸術高等専修学校小学校出前公演(和歌山)
11月8日(日)
りら創造芸術高等専修学校
高校生が踊るのはコミカルタップのウィル・ロジャース!
イスに座って軽快にタップが始まる。肩やひざをたたいたかと思えば、帽子をたたき、頭をふれば帽子についた鈴が鳴る。目の前のお兄さん、お姉さんのコミカルな動きに、集まった小学生たちからも笑い声が聞こえた。
■[beis]crewスクールショー(愛知)
11月17日(日)
[beis]crew
関西を離れ愛知県でおこなわれたスクールショーは
温かい空気で包まれていた!
アカペラでのタップに始まり、デッキブラシや長棒等、道具を使ったナンバー、タップの歴史を紹介するコーナーから生徒達と一緒にリズムで遊ぶコミュニケーションのコーナーまで内容盛り沢山の1時間のショー。
■2009かしはら商工まつり まほろばフェスタ(奈良)
8月22日(土)
スタジオぽこ・あ・ぽこ
秋晴れの奈良!浴衣姿で和風タップ!
人気漫才師コンビの後にステージに上がり、浴衣姿でタップ板を設置する彼女たちに、観客席からの注目が集まる。タップスタジオが少ない奈良の人たちにとって、タップを目にする数少ない機会となった。
■Funk Tap Day [beis]crew 8th Ave.& Funk Tap Challenge6
10月12日(祝)
Basement Studio
祝10周年!41人のタッパーによるFunk Tap Soul
このスタジオはファンク系のタップを得意としているが、Hip Hopでガツンとみせるタップもあれば、クラシカルな曲で幻想的に踊ったり、カントリー調の曲でほのぼのと踊ったりと、実に幅広いタップを楽しめた
■ART OF THE DANCE(兵庫)
10月17日(土)
J-CLICK
様々な出会いから生まれたダンスエンターテイメント!
(前略)その中でも圧巻だったのは、THE FAIRY DANCE!の奈未が奏でるピアノの演奏にのって繰り広げられたFreeStyleダンサーYasとEDDY吉野によるダンスバトル!まったく異なるジャンルのダンスだが、白熱するバトルに会場全体が熱くなった。
■第26回高石商工フェスティバル(大阪)
10月18日(日)
高石だんじりタップ Hoof-ers
地元にタップを広めたい、だんじりタップフーファーズ!
半被(はっぴ)を着込みステージに戻ったHoof-ersが最後に踊ったのは、地元高石のだんじり囃子とタップを融合させた「だんじりタップ」。高石の人にはお馴染みのだんじりのリズムと共に、タップの音が響き渡った。
[この他の内容は タップダンススタイル vol.3 をご覧ください]
vol.2 【特集】関西発、海外で活躍しているTAPダンサー!!(KEITAROさん)
2009年10月09日
from NEW YORK
ニューヨークに拠点を移し活躍しつづける
TAP界のホープ!
KEITARさん プロフィール
■タップを始めたきっかけ
シューズの話。タップダンスを見て、あのシューズを自分が履いたらどうなるだろう、という想像だけで興奮が止まらず始めました。初めてタップシューズを履いた時の感動は忘れられません。歩くだけで音が鳴る、跳ねるだけで音が鳴る、ひとつひとつステップを習うのが楽しくてしょうがなかった思い出があります。
■海外での活動内容
タップダンスフェスティバル、その他ダンスフェスティバルへの出演。他にJAZZクラブ・クラブイベント・スクールショーなど。またタップJAMやJAZZのセッションに積極的に参加しています。
■今後の活動予定、夢について
個人的な目標は目先のものから長い目で見たものまで多くありますが、一つ言えるのは今まで自分はタップダンスを通じて本当にいろいろなものを得てきました。10年タップを踊ってきて、今の自分があります。一つ一つの出会いから、積み重ねてきた経験まで、タップダンスに感謝しています。そんなタップに今後自分が出来ることを通じて返していきたい、そんな思いとともに今後も活動していきます。
[この他の内容は タップダンススタイル vol.2 をご覧ください]
携帯動画はこちら
vol.2 【特集】関西発、海外で活躍しているTAPダンサー!!(日暮良子さん)
2009年10月08日
from KOREA
日本と韓国の架け橋になるべく活躍する
ママさんタップダンサー!
日暮良子さん プロフィール
■海外に活動拠点を移したきっかけ
2006年の秋に結婚し2007年の1月から主人の母国である韓国で新生活を始めました。しばらくは語学勉強に明け暮れていましたが半年経った頃、再び踊りたい気持ちが強くなり渡韓前から知り合いだった現地タップダンサー【Nilson】と連絡を取り合いました。その当時彼は自らが持つカンパニーのダンスショー【L.O.V.E.】を企画しており、そのステージに私もタップダンサーとして出演することになりました。それが私にとって韓国での初舞台です。
■海外での活動内容
Nilson主宰の【FLOORESSAY】というダンスチームに在籍。月に一回くらいの割合でイベント出演しています。個人的には BASEMENT TOKYOを通して韓国内でのCAPEZIO K360の販売のお手伝い【Bluegrasp in seoul】、そして2009年8月より【TAPPERS】というタップスタジオで週2回ファンクタップクラスを受け持っています。中級・上級クラス担当。
■今後の活動予定、夢について
1歳になる娘がいるので今は無理のない範囲で【FLOORESSAY】での活動と教えの仕事を両方続けていけたらと思っています。現在自分が韓国にいるのは偶然かもしれませんが、でも現実なのでタップダンスを通して日本と韓国の架け橋になるようなお手伝いが出来たら良いなと思います。近い夢は『娘とタップ共演』、遠い夢は『生涯現役』。長く長く踊り続けていきたいです。
[この他の内容は タップダンススタイル vol.2 をご覧ください]
[L.O.V.E(. 2007.7)]
携帯動画はこちら
[NILSON POOL PARTY(2009.7)]
携帯動画はこちら
vol.2 【特集】関西発、海外で活躍しているTAPダンサー!!(藤林真理さん)
2009年10月04日
vol.2では関西から世界へ飛び出し活躍しているタップダンサーに注目!
海外で活動するようになった経緯や、日本と海外での環境の違い、今後の予定や夢について3名のタップダンサーにお話をうかがいました。
京都から世界へ
NY、ロシア、エストニア、フランス…、
世界を股に掛け活躍するタップダンサー!
藤林真理さん プロフィール
■海外に活動拠点を移したきっかけ
(中略)NYでプロになる気もなく短期で留学のつもりが、あちこちで踊る機会を与えられ誘われて活動しているうちにNYのダンス学校で講師をしたり、主要な幾つかのプロのタップカンパニーからお誘い頂きいろいろな場所で踊っていました。又、同時に自身の歌って踊るグループを作っていろいろな劇場等に出演することになりました。私がいた頃は今は亡きタップマスター達がLa Caveに毎週いました。私も始まった頃はよく通い、生で彼等のステージを見て舞台にも上げられました。今思うと本当に贅沢ですね。
■日本と海外でのタップ環境の違い
タップだけではないと思いますが、とにかく海外に自分が目指すダンサーがいて、憧れたり好きすぎて今だとYouTubeなどの映像でそのダンサー達のステップを見て学ぶことは当然理解できますが、結局そこから抜け出せずコピー?~風?になってしまうのは危険があると思います。海外のダンサー達は“それは~のものだ、おまえのステップをやってみろ!”とオリジナリティのない人達をあまり好まない傾向があります。ダンサーとしての個性や資質からお手本にされる、認められているダンサーというのは“その人でしか表現できない、その人だけのスタイル”が根底で、~風は結局オリジナルを超えることはないのを知っているからだと思います。
海外ならではのタップ事情として、伝説のダンサー、ハニー・コールズが亡くなった時、ゆかりの人間としてハーレムのアポロシアターの追悼公演に出演させてもらいました。まず、彼が亡くなったNewsが全米へ夜のテレビで流れたことに驚きました。アポロシアターの公演チケットは一瞬でSoldoutになり、NY市長からの弔辞が読まれたり、会場にトミー・チューンやキャブ・キャロウェイ、サミー・ディビスJRのお母さん、とにかく書ききれないほどの著名人達が客席にいた事も印象に残っています。タップダンサーがホワイトハウスに招かれたり、国民栄誉賞を与えられテレビで全米中継される等、タップダンサーが真の芸術としてアメリカでは位置付けられている事がまさに環境の違いだと感じます。
■海外での活動内容
長年NYでタップダンサーと音楽大学生として生活した後、どこにいても創作活動はできると思い、帰国して京都と東京を行ったり来たりで教え、日本での仕事もその需要に応じてのスタイルでやっています。いろんなスタイルのタップのお仕事の中で、ATDO(*)時代からのパートナー、Olivia Rosenkrantzと共に、現在活動しているメキシコの弦楽四重奏、Cuarteto Latinoamericanoとは、海外で招聘される度に世界のどこかで会い、リハーサルをし、ワークショップをし、コンサートをして再び私は日本に帰るというスタイルをここ数年しています。
(*)Artistic Director, Brenda Buffalino率いるカンパニー、American Tap Dance Orchestra
■今後の活動予定、夢について
今のところ来年は2月アメリカ、5月に日本でTapageの公演が決定しています。私個人としては海外に行かない時は日本でいろいろな形 で活動をしていきたいと思っています。
[この他の内容は タップダンススタイル vol.2 をご覧ください]
携帯動画はこちら
海外で活動するようになった経緯や、日本と海外での環境の違い、今後の予定や夢について3名のタップダンサーにお話をうかがいました。
京都から世界へ
NY、ロシア、エストニア、フランス…、
世界を股に掛け活躍するタップダンサー!
藤林真理さん プロフィール
■海外に活動拠点を移したきっかけ
(中略)NYでプロになる気もなく短期で留学のつもりが、あちこちで踊る機会を与えられ誘われて活動しているうちにNYのダンス学校で講師をしたり、主要な幾つかのプロのタップカンパニーからお誘い頂きいろいろな場所で踊っていました。又、同時に自身の歌って踊るグループを作っていろいろな劇場等に出演することになりました。私がいた頃は今は亡きタップマスター達がLa Caveに毎週いました。私も始まった頃はよく通い、生で彼等のステージを見て舞台にも上げられました。今思うと本当に贅沢ですね。
■日本と海外でのタップ環境の違い
タップだけではないと思いますが、とにかく海外に自分が目指すダンサーがいて、憧れたり好きすぎて今だとYouTubeなどの映像でそのダンサー達のステップを見て学ぶことは当然理解できますが、結局そこから抜け出せずコピー?~風?になってしまうのは危険があると思います。海外のダンサー達は“それは~のものだ、おまえのステップをやってみろ!”とオリジナリティのない人達をあまり好まない傾向があります。ダンサーとしての個性や資質からお手本にされる、認められているダンサーというのは“その人でしか表現できない、その人だけのスタイル”が根底で、~風は結局オリジナルを超えることはないのを知っているからだと思います。
海外ならではのタップ事情として、伝説のダンサー、ハニー・コールズが亡くなった時、ゆかりの人間としてハーレムのアポロシアターの追悼公演に出演させてもらいました。まず、彼が亡くなったNewsが全米へ夜のテレビで流れたことに驚きました。アポロシアターの公演チケットは一瞬でSoldoutになり、NY市長からの弔辞が読まれたり、会場にトミー・チューンやキャブ・キャロウェイ、サミー・ディビスJRのお母さん、とにかく書ききれないほどの著名人達が客席にいた事も印象に残っています。タップダンサーがホワイトハウスに招かれたり、国民栄誉賞を与えられテレビで全米中継される等、タップダンサーが真の芸術としてアメリカでは位置付けられている事がまさに環境の違いだと感じます。
■海外での活動内容
長年NYでタップダンサーと音楽大学生として生活した後、どこにいても創作活動はできると思い、帰国して京都と東京を行ったり来たりで教え、日本での仕事もその需要に応じてのスタイルでやっています。いろんなスタイルのタップのお仕事の中で、ATDO(*)時代からのパートナー、Olivia Rosenkrantzと共に、現在活動しているメキシコの弦楽四重奏、Cuarteto Latinoamericanoとは、海外で招聘される度に世界のどこかで会い、リハーサルをし、ワークショップをし、コンサートをして再び私は日本に帰るというスタイルをここ数年しています。
(*)Artistic Director, Brenda Buffalino率いるカンパニー、American Tap Dance Orchestra
■今後の活動予定、夢について
今のところ来年は2月アメリカ、5月に日本でTapageの公演が決定しています。私個人としては海外に行かない時は日本でいろいろな形 で活動をしていきたいと思っています。
[この他の内容は タップダンススタイル vol.2 をご覧ください]
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